- コント55号コント55号コント55号
コント55号関連商品AMAZON コント55号
-
小説・コント55号 いくよ、二郎さん はいな、欽ちゃん
¥ 1,050
山中 伊知郎
いくよ、二郎さん はいな、欽ちゃん―小説・コント55号
¥ 1,365
山中 伊知郎
姓氏と家紋 第55号
¥ 630
「お笑いタレント化」社会 (祥伝社新書110)
¥ 798
山中 伊知郎
コント55号コント55号コント55号
コント55号リンク
コント55号をWIKIで調べてみました。
コント55号
コント55号(こんとごーごーごー)は、萩本欽一と坂上二郎のコントコンビ。浅井企画所属。正式な呼び方は表記の通りだが、一般には「コントごじゅうごごう」と呼ばれる。
1966年、営業先の熱海つるやホテルで「机」の一人コントを考案した萩本が、早速以前出演していた浅草松竹演芸場に売り込みをかけようと準備をしていたところ、たまたま浅草フランス座時代に幕間コントで競演した坂上から電話があり、この電話で坂上の助演が決定。10月松竹演芸場の前座として「机」を演じたところ、反応が今一つだったため、二日目に役を入れ替えたところ好評を博し、三日目には正式に香盤表に載る事となり、この時支配人から「コント55号」と名付けられた。
コント55号の裏番組をぶっとばせ!
コント55号の裏番組をぶっとばせ!(こんとごじゅうごごうのうらばんぐみをぶっとばせ!)は、1969年4月27日から1970年3月29日にかけて、日本テレビ放送網 日本テレビ系にて放送されたバラエティ番組。
この番組のタイトルからもわかる通り、視聴率を意識して、当時、裏番組で視聴率がとても良かった日本放送協会 NHKの大河ドラマ(天と地と (NHK大河ドラマ) 天と地と)に対抗して、「日曜日の夜8時に最も視聴率の取れる番組を作る事」を基本テーマとして、担当プロデューサー役の萩本欽一と放送作家役の坂上二郎のコント55号を進行役に据えて開始した。
芸能人が野球拳をする番組として知られ、進行役のコント55号自身も、実際に野球拳に参加していた。番組は好調で、1969年7月6日の放送時で、番組の視聴率は、29.3%を記録し、この日のNHKの大河ドラマ(天と地と)が27.6%で、この日初めて視聴率でNHKに勝った。そして、この番組の最高視聴率として33.8%(1969年10月放送)を記録し、大晦日にも紅白歌合戦の時間に放送したが、好調過ぎて“子供が野球拳をマネする”などの苦情が多数あり、1年間で番組は終わった。これを期に、テレビ内での野球拳は封印された。(24年後の1994年の大晦日にダウンタウン司会の特別番組 特番「ダウンタウンの裏番組をぶっとばせ!」で野球拳が24年振りに復活されたが、スポンサーなどから多くの苦情が来た。)
コント55号の世界は笑う
コント55号の世界は笑うは、1968年7月13日〜1970年3月28日まで、フジテレビ系にて放送された、コント55号(萩本欽一・坂上二郎)司会の公開方式のバラエティー番組。放送時間は毎週土曜20時〜21時。
1968年4月よりフジテレビジョン フジテレビでスタートした平日昼のベルト番組「お昼のゴールデンショー」のレギュラーとして、一躍注目を浴びる存在となったコント55号をメインに据えてスタート。主にコントを中心に、ゲスト歌手による歌などを織り交ぜる構成、会場も「お昼の〜」と同じく東京有楽町のビデオホールから、と「お昼の〜」との関連性を強く残す形での始動であった。
同番組プロデューサーは「お昼のゴールデンショー」スタート時に同番組への55号起用を決定した人物である常田久仁子であった。土曜20時という時間帯は、若年層から年配層まで幅広い年代の視聴者から最も注目を集まる時間帯であったが、この時間帯にまだ売り出し中の段階にあった55号を起用することについて、当時は局内外から番組の将来を危惧する声が高かった。しかし、常田は55号の持つ笑いのセンスを高く評価しており、局内外の批判に全く耳を貸さず、半ば強行的にこの番組をスタートさせた。
コント55号のなんでそうなるの?
コント55号のなんでそうなるの?は、1973年4月から9月(第1期)、1974年4月から1975年9月(第2期)、1975年10月から1976年3月(第3期)まで、日本テレビ放送網 日本テレビ系ほかにて金曜日19:30〜20:00に放送されたコント55号出演のお笑いバラエティ番組である。日本テレビ系列局のない地域でもスポンサーの関係上TBSテレビ TBS系列局が『太陽にほえろ!』とセットの形で同時ネットした地域もあった。逆に、日本テレビ系列でもクロスネットの関係で遅れネットとなった地域もあったフジテレビ系列とのクロスネット時代の広島テレビ放送は、1975年3月時点で、月曜19:00から放送していた。その関係で『スーパーロボット マッハバロン』は遅れネットで放送された。また中京テレビ放送 中京テレビも同時間帯にテレビ東京 東京12チャンネルの番組を放送していたために日曜18:30から放送していた。。
コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?
コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?(こんとごじゅうごごうのこうはくうたがっせんをぶっとばせ-)は、昭和50年から3年連続で日本放送協会 NHK紅白歌合戦の裏番組で放映された日本テレビ網製作のバラエティ番組。
かつて同系列で放送されていたコント55号の裏番組をぶっとばせ!と似たタイトルではあるが、同番組で有名になった野球拳は登場していない。ジャイアント馬場などのスポーツ選手がゲストとして登場して、トークやコントを展開した。
2回目の放送から、同系列のコント55号のなんでそうなるの?同様、松竹演芸場からのコント中継番組になった。当時の紅白裏においての最高視聴率を獲得したが、昭和53年は敢えて放送を取りやめピンク・レディーによる番組を放送。翌昭和54年、再びコント55号による同様の番組が企画されるが、マンネリを恐れ敢えて新企画を考案。コント55号の萩本欽一による単独司会で『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!』が放送された。この時の番組が、後の欽ちゃんの仮装大賞である。同番組の人気上昇により、コント55号による紅白歌合戦の対抗番組は姿を消す。
コント55号コント55号
コント55号に関する動画
コント55号コント55号